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京都地方裁判所 昭和57年(行ウ)47号 判決

京都市中京区西ノ京小堀池町八番地一

原告

藤井信央

訴訟代理人弁護士

藤平芳雄

京都市右京区西院上花田町一〇番地一

被告

右京税務署長

宮崎勉三

指定代理人検事

中本敏嗣

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は、原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  原告

被告が昭和四九年六月一〇日付で原告に対してした原告の昭和四五年分ないし昭和四七年分(以下本件係争年分という)の所得税の更正処分(裁決によって一部取り消された後のもの・以下本件処分という)及び重加算税賦課決定処分(裁決によって一部取り消された後のもの・本件賦課決定処分という)のうち、昭和四五年分の総所得金額が二三五四万一〇六円、昭和四六年分の総所得金額が三九七四万八六八六円、昭和四七年分の総所得金額が五七九〇万四五〇四円をいずれも超える部分を取り消す。

訴訟費用は、被告の負担とする。

との判決。

二  被告

主文同旨の判決。

第二当事者の主張

(本件請求の原因事実)

一  原告は、京染呉服製造卸業を営むものであるが、原告の本件係争年分の所得税の課税の経緯は、別表のとおりである。

二  しかし、本件処分は、原告が本件係争年分に支払った次の給料を必要経費として控除しなかった点で、原告の本件係争年分の所得を過大に認定した違法がある。

〈省略〉

三  結論

本件処分及び本件賦課決定処分中、別紙の原告主張額を超える総所得金額とこれに対応する重加算税賦課決定処分は違法であるから、その取消しを求める。

(被告の答弁)

一  本件請求の原因事実中一の事実は認める。

二  同二の主張を争う。

(被告の主張)

一  原告の実弟藤井久夫、その内縁の妻山口安基子は、原告と同一家屋に起居して食事を共にし、その生活費も原告において特に区別することなく一括して支出しており、給料等定期的に労働の対価としての支払を受けることなく、臨時の出費等は必要な都度原告から支給されていたものであって、独立の世帯としての生計を営んでいたものではなく(町内会費も原告のみが所帯主として支払っているのみである)、原告と生計を一にしていたものであるから、仮に原告主張のごとき支出がなされていたとしても、これを必要経費となし得ないことは、所得税法五六条からも明らかであり、税法上は、店主貸しに計上して処理されるべきである。

二  なお、原告は、本件係争年分の売上金額の一部を仮装隠ぺいしていたので、本件処分及び本件賦課決定処分をした。

そして、原告は、昭和四八年三月二八日以降所得税法違反の嫌疑で大阪国税局査察部の調査を受け、その結果同年一二月二五日右嫌疑で告発され、京都地方検察庁はこれを受けて原告を同法違反で昭和四九年三月一一日京都地方裁判所に公訴を提起(昭和四九年(わ)第一七六号)し、同裁判所は、昭和五六年三月三〇日原告に対し有罪(懲役一〇月付執行猶予二年及び罰金一五〇〇万円)の判決を言い渡し、これが確定している。

ところで、この刑事事件で提出された昭和五六年一月一九日付合意書面では、原告主張の給料が必要経費とすることに合意されている。しかし、これは、事実に反するし、この合意は、刑事事件の進行等訴訟経済を含めた大局的見地を考慮したうえで、担当検察官と被告人弁護人との間の合意にすぎない。

(原告の反論)

一  藤井久夫、山口安基子は、原告のため価値ある労働をし、その対価として、相当額を原告から受けとっていた。その内訳は、次のとおりである。

〈省略〉

なお、原告は、昭和四九年四月一二日、右京税務署に源泉徴収税を納付した。

二  原告に対する刑事事件では、担当検察官は、原告主張の給料を、簿外経費(給料賃金)として認め、裁判所もこれを簿外経費として認容したものである。

三  藤井久夫は、昭和三五年、山口安基子と婚姻(但し、現在も内縁)し、原告夫婦とは独立した生計を営んでおり、居住、食事、財布を一にしていたものではない。

四  原告は、藤井久夫の家計費用として必要の都度支給していたが、年末には、賞与として金五〇万円前後の金を支給していた。

五  このように、藤井久夫、山口安基子の原告の事業への役務、労働の対価として、実質給与の支給があったものである。ただそれが定時、定額でなかったにすぎない。したがって、原告のこの給与の支出は、所得の計算上経費として認められるべきであり、費用収益対応の原則に合致する。

第三証拠関係

本件記録中の証拠関係目録記載のとおり。

理由

一  本件請求の原因事実中一の事実(原告の本件係争年分の課税の経緯)は、当事者間に争いがない。

二  本件の争点は、原告が本件係争年分に支給した藤井久夫及び山口安基子に対する給料が、必要経費に当たるかどうかに尽きる。

1  成立に争いがない甲第一号証、同第三、四号証、同第七ないし第一一号証、乙第一ないし第八号証を総合すると、次のことが認められ、この認定に反する原告本人尋問の結果は採用できないし、成立に争いがない甲第六号証の一ないし一一はこの認定の妨げにならないし、このほかにこの認定に反する証拠はない。

(一)  原告方は、父の代から京染呉服製造卸業をしていたが、原告は、昭和三〇年ころから父の仕事を手伝い、実弟藤井久夫も、そのころから父の仕事を手伝った。

父は、昭和三十六年死亡したので、その後は、原告と藤井久夫の共同経営の形をとり、原告の内妻堀多津子、藤井久夫の内妻山口安基子も、家族として原告らの仕事を手伝った。

(二)  原告と藤井久夫とは、昭和四三年四月ころ、京都市右京区太秦安井馬塚町一六番地一に、店舗兼作業場を設けて同居し、食事も従業員と共にする生活をしていた。このことは、昭和四五年ないし昭和四七年中も変わらなかった。なお、原告にも藤井久夫にも、子供が恵まれなかった。

(三)  原告は、事業主として白生地の仕入から製造販売の全般に当たり、堀多津子は、経理事務を担当し、藤井久夫は、原告の片腕としてその全般を補佐し、経理をまかされていた。山口安基子は、店舗で電話番や客の応対に当たった。その当時の従業員は、平均一五、六名おり、仕事は、順調であった。

(四)  原告は、青色申告による納税者であったが、昭和四三年ころから、藤井久夫と共謀して売上除外をはじめた。そのため、経費を法定帳簿に正確に記帳することをしなかったし、裏付けになる領収書なども散逸させてしまった。

(五)  藤井久夫は、原告との共同経営であると観念していたから、原告から定期的に一定額の給料を貰ったことはなかった。山口安基子も同様である。げんに藤井久夫、山口安基子は、本件係争年分の従業員給料支給者名簿(乙第一号証添付表参照)の中には入っていない。

藤井久夫と山口安基子は、原告と食事を共にしていたから賄料を出す必要はなかったし、身廻品、交際費などは、その都度堀多津子から現金で貰っていた。これについての領収書は、作成されなかった。

藤井久夫は、昭和四四年から四七年にかけて、不動産を購入したが、そのローンの支払も、堀多津子からその都度現金を貰って銀行に支払った。これについての領収書もない。

2  以上認定の事実からすると、原告と藤井久夫とは、本件係争年分を通じて生計を一にしていたとするほかない。

そうすると、原告が藤井久夫に給料を支払ったとしても、それは、所得税法五六条によって必要経費に算入されないとしなければならない。

3  成立に争いがない乙第九号証によると、原告に対する所得税法違反被告事件について、担当検察官と被告人弁護人との間で、藤井久夫、山口安基子に対する本件係争年分の支払給料を必要経費とする旨の合意の成立したことが認められるが、この合意により、本来必要経費に該当しないものが、税法上必要経費となる法的根拠はどこにもない。

成立に争いがない甲第二号証の一、二によると、原告は、藤井久夫、山口安基子に対し本件係争年分に給料を支払いその源泉徴収をしたことを理由に、右京税務署に対し、源泉徴収相当額を納付したことが認められるが、原告がこのような挙に出たことから、藤井久夫、山口安基子に対し本件係争年分に給料を支払ったことにはならないし、それが、必要経費になるかどうかは、別のことである。

原告は、藤井久夫、山口安基子に対し、本件係争年分に、毎年末五〇万円の賞与を支給したと主張し、成立に争いがない乙第六号証には、その趣旨の供述記載があるが、その裏付となる資料は全くないのであるから、この供述記載だけで、同事実を認めるわけにはいかない。

三  以上の次第で、本件処分には、原告主張の取り消すべき瑕疵はないし、これに対応する本件賦課決定処分にもなんらの瑕疵がないことに帰着する。

四  むすび

原告の本件請求を棄却し、行訴法七条、民訴法八九条に従い、主文のとおりとする。

(裁判長判事 古崎慶長 判事 小田耕治 判事補 長久保尚善)

別紙

課税の経緯

〈省略〉

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